2014年9月24日水曜日

また、ゼロからの出発  ー Annie's Song ー

この歌は、John Denverさんが奥さんのために作って歌った曲だそうです。

小椋佳さんも、奥さんのために書いた「シクラメンのかほり 」を歌っています。

どちらの曲も好きですが、歌詞はまったく違います。

アメリカ人の表現が雑駁というわけではないんでしょうが、小椋佳さんの情緒豊かな表現に軍配を上げたいです。


この曲を練習していて、またまた自分の吹き方が全く間違っていることに気が付きました。

この曲は4分音符=140で練習したんですが、一拍にビブラート三個では早すぎてついていけません。

したがって、少しゆっくり目のビブラートにしましたが、今までのビブラートの付け方では、ビブラートになりませんでした。

つまり、デタラメビブラートがバレたということです。いっときはこれでOKと思ったんですが、やっぱりダメだったということです。

いま、気持も新たにゼロから練習していますが、新しい震わせ方で練習すると、音自体も変わってきているようです。

今回の演奏は、少しだけコツを掴んだ段階です。

また当分の間、楽しい練習が出来そうです。




7 件のコメント:

  1. パチパチパチ。
    毎日新曲を待っていましたが、今朝突然、いい演奏に癒されました。
    奥さんのためにこの曲のような気持ちを持っているってことが素晴らしいですね(現実はなかなかあることではないかも、、、)。

    さて、彫刀伊亭さんは?

    ビブラートについての想いを読んでから曲を聴きましたが、音の芯がぶれずに輪郭に少しだけかかっているように聴こえます。
    自然で好感の持てるビブラートだと思います。

    プロでもやたら深いビブラートをかける演奏家がいますが、聴いていて気持ちが悪くなります。

    好みなのでしょうけれど、彫刀伊亭さんのビブラートはとてもいい感じだと思います。

    ちなみに私は特にビブラートの練習をしたことはありません。
    吉田雅夫さんが、ビブラートは練習しなくても自然にかかるもの、と言っていた言葉を信じて、練習をさぼっております(笑)。

    次回の新曲を楽しみにしています♪

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    1. このコメントは投稿者によって削除されました。

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    2. すぐ返信したんですが、消えてしまいました。理由不明です。
      その時の返信コメントは全く忘れてしまいましたので、あらためてー

      ありがとうございます。
      自分としては納得していない演奏で、欠点を色々言っていただきたいです。ひとの演奏の欠点を言うのは、むずかしいとは思いますが、独学者としてはそれしかありません。ぜひクソミソに…。。。

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  2. 少し間が開いたのでどうしたのかな?と思っていました。

    funkyhassyさんのおっしゃる通りだと思いますよ。

    20世紀にフルーティストとして初めて積極的にヴィブラートを表現に取り入れた、マルセル・モイーズは、あれほど膨大なエチュードを残しましたが、ヴィブラートのためのものは一つもありません。また、ヴィブラートをどうかけているのか?のような質問を受けると、めちゃくちゃ機嫌が悪かった人です。(笑)
    でも、フルートを教えたり、教わったりという現場では、ヴィブラートをどうするか?を扱わざるを得ませんので、メトロノームに合わせてお腹で息を切ってみたり・・・などのトレーニングを勧めたりしています。でも、本物のヴィブラートはお腹など動きませんし、そもそも発音の発射台となる腹筋を小刻みに動かすなど言語道断。
    では、どこが動くのか?の真実をうっかり説明すると、間違ったヤギの鳴き声のようなヴィブラートの原因になりかねないので、うかつには「〇〇」でかけます、とは言いにくいんですよ。
    むしろ、揺れない、しっかりとした、発音を先に実現することが大事だと思います。
    それがうまくゆくようになって、歌手のように朗々と歌おうとしたとき、ヴィブラートは自然に出来るようになると思います。

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    1. 「朗々と歌おうとしたとき、ヴィブラートは自然に出来る」というのは、感覚的によく理解できるので、さっそく「朗々と」そして「ビブラートを意識せず」練習してみました。自然にはかかりませんでしたが、いくつか新しい課題が見つかりました。
      ゼロからの出発と思ったんですが、ゼロのそのまたゼロからの出発です。
      ありがとうございました。

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  3. funkyhassyさんの「音の芯がぶれずに輪郭に少しだけかかっているように聴こえます。」という表現はヴィブラートの姿を良く表していると思います。

    音の芯まで揺らしてしまったら、それはヴィブラートというより、音が揺れている、という状態です。

    つまり、もしヴィブラートを表現の手段としてコントロールしようとするとき、そのコントロール系よりも「音の芯を安定した状態で発音する」というコントロール系の方が上位に存在するということです。

    このときの空気(息)の流れを、ポンプとそれを送り出す「水」に置き換えてみますと、ポンプは安定した水流を供給し、水の流れにヴィブラートを発生させるのは、決してポンプの動きではないということです。水を送っているパイプが水道管のようなカチカチの管では決してヴィブラートは生まれません。水圧を受け止めながらも、しなやかに伸び縮みしてパイプの口径をわずかに変化できる柔らかな管が必要です。

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    1. 以前、東京フィルの斉藤さんは「ビブラートは自然にかかるものーというひともいるけど、練習は必要だと思います。」と言っていました。
      私はこの意見もSonoreさんの意見も正しいと思っています。
      これまでの私は、まずビブラートありきでした。
      これからは、ビブラートを意識しないで朗々と吹きながら、柔らかな管を意識して、音の芯がぶれないビブラートを目指します。


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